※赤字は守る会が深く関与したもの
1946年 | 小林提樹氏:日本赤十字産院小児科医として勤務 ・慶応病院及び日赤産院で障害児外来開始 ・産院で出産した母親に置き去られ障害児を小児科病棟に受け入れる。 |
1948年 | 児童福祉法施行 ・児童福祉法が施行されたが、重度の障害児は施策の対象にならなかった。 |
1955年 | 小林提樹氏による障害児についての勉強会「日赤両親の集い」始まる。 |
1957年 | 小林提樹氏は児童福祉法の対象とならない心身障害児の実状を公の場で訴える。 |
1957年 | 島田伊三郎氏 多摩村の建設用地34,327.62平米を寄付 |
1961年 | 島田療育園開設(初代園長に小林提樹氏) ・島田療育園の運営費確保のため、親の有志が、初めて厚生省に陳情活動 社会の役に立たないものに国の予算は出せないと言われた。 ・重症心身障害研究委託費の名目で初の国家予算400万円の補助 |
1963年 | 「重症心身障害児の療育について」厚生事務次官通達 ・初めて重症児の概念(定義)を明確化、18歳以上は入所対象から外された。 ・施設入所療育費(重症児指導費)は施設運営費として公費負担となる。 ・びわこ学園開設(園長 岡崎英彦氏) ・水上勉氏「拝啓池田総理大臣殿」を中央公論に発表、障害児施策の充実を訴える。 ・全国各紙・NHK・TBSが障害児問題キャンぺーン |
1964年 | 全国重症心身障害児(者)を守る会結成 ・重症児施設の法制化、年齢制限の撤廃等の要望を決議し陳情活動・療育相談を始めた。 ・「両親の集い」小林先生より守る会が引き継ぐ ・秋津療育園・重症児施設に認可(草野熊吉理事長) ・職員確保は深刻な問題となり、秋田おばこ天使(島田・秋津療育園の看護師確保策)始まる。 |
1966年 | 国立療養所(480床)、整肢療護園(40床)に重症児病棟設置 ・職員処遇改善(国立療養所の重症児病棟勤務職員の給与に調整額20%加算を確保) |
1967年 | 重症心身障害児施設(国立療養所の委託病床含む)法制化(児童福祉法改正) ・年齢制限なく入所が可能となった。(児者一貫制度の実現) |
1969年 | 重症心身障害児療育相談センターの完成(重症児者通園事業の開始) |
1976年 | 緊急一時保護制度発足(1989年短期入所と名称変更・レスパイトが認められる。) |
1979年 | 養護学校義務制実施 |
1990年 | 重症児通園モデル事業の実施 |
1995年 | 紙おむつ中間サイズの開発・販売に協力 |
2004年 | 養護学校におけるたんの吸引等(医療的ケア)取扱い通知 |
2006年 | 障害者自立支援法施行 ・18歳以上を対象、障害福祉サービス体系再編、利用料の1割負担導入、国の財政責任の明確化 ・利用料負担の軽減を実現 |
2009年 | 障がい者制度改革推進会議設置(当事者参加型) 重症児施設入所は人権侵害の意見に対応(異議を表明) |
2010年 | 総合福祉部会設置(当会も委員として参画) ・重症児者には、命と人権を守る入所施設は必須であるとして主張 ・署名活動を実施して施設の必要性を社会に訴える。(12万筆の署名が集まる) |
2012年 | つなぎ法(略称)施行 ・18歳未満は医療型障害児施設、18歳以上は療養介護となる。 法制上は児者分離となるが、重症児の特性に配慮して児者一貫体制は維持継続されることとなる。 |
2012年 | 福祉職員のたんの吸引等が制度として実施可能 ・障害者総合支援法(略称)の成立(障害者自立支援法の名称変更) |
2014年 | 国連障害者権利条約批准 (2月締約国となる) |
2017年 | 障害児入所施設と療養介護の一体的実施・事業所指定の特例措置恒久化 |
2018年 | 障害者総合支援法及び児童福祉法の一部を改正する法律施行 |
2021年 | 医療的ケア児支援法(略称)施行 |
2022年 | 経腸栄養分野の小口径コネクタ製品の切替えに係る方針の一部見直しについて(通知) |